Dr.Kの思い出
2025年も残りわずかということで、いくつかブログを書いておこうと思います。
2025年を振り返ると、5月のギタリスト「Dr.K」こと徳武弘文さんの訃報は、私にとって大きなものでした。
私が徳武さんのお名前を意識するようになったのは、1990年に徳武さんの演奏によるインストゥルメンタル曲『KEITH』がCM音楽として使われ、雑誌『ギター・マガジン』に掲載された『KEITH』に関する記事を読んだのが初めてだったと思います。
私はちょうどそのころからムーンライダーズやその周辺の音楽をよく聴くようになり、自然と徳武さんの演奏に触れる機会も多くなりました。
そして徳武さんが高橋幸宏さんのコンサートに参加することで、ライブでも徳武さんの演奏を観る機会も出てきました。
また、『ギター・マガジン』誌面などでの徳武さんのインタビューやコラムから自分が知らなかったジャンルの音楽について知ることも多かったですし、ライブに行くまでではなかったものの、徳武さんのギターインストでの活動も、興味深く見ていました。
一方で私は2000年ごろからモーニング娘。はじめハロー!プロジェクトに興味を持つようになっていくわけですが、徳武さんは同じ音楽の世界であってもハロプロとは縁のない存在だとずっと思っていまして、同じくムーンライダーズや幸宏さんファンでハロプロ好きでもある知人と「徳武さん、ハロプロ関係でも弾いてくれないですかね」みたいな話を、あくまで「冗談として」していたものでした。
それだけに、2006年に開催された安倍なつみさんのアコースティック・ライブに参加したのを皮切りに、徳武さんが安倍さんやほかのハロプロOGのライブにたびたび参加するようになったのは、大きな驚きでした。
自分の中で、遠く離れたところに位置づけていたものを繋いでくれた、徳武弘文さんは私にとってそんな存在でもありました。
1992年に東京厚生年金会館でおこなわれた高橋幸宏さん、鈴木慶一さん、山本耀司さんのコンサート『BEATNIK'92 Against All Risks ON BEAT THE GENERATION』にバンドメンバーとして参加する徳武さんを観て、それから15年後の2007年に同じ厚生年金会館で安倍なつみさんのコンサート『安倍なつみSpecial Live 2007 秋 〜Acoustic なっち〜』にゲストとして出演する徳武さんを観たという経験は、それを象徴するような、ちょっと面白い体験だったと思っています。
もうひとつ、徳武さんについて忘れられない記憶があります。
1992年ごろだったと思いますが、池袋のイシバシ楽器(現在の池袋店店舗とは別の場所でした)で開催された徳武さんのギターセミナーを観に行きました。
その際にQ&Aコーナーで徳武さんがメインで使われていたテレキャスター仕様に改造されたフェンダー・エスクワイアーについて質問された方がいました。ピックアップをEMG製のものに交換しているのはなぜですか、というような質問だったと思います。
その質問への徳武さんの答えは「仕事で使うギターだからです」といったものでした。「ぼくたちは、どんなに自分で音が気に入っているギターがあっても、現場でエンジニアからSN比が悪いと言われたら、そのギターは使えないんです(そのためにノイズの少ないEMGに換えてある)」というようなお話を徳武さんがされたのが、とても印象的でした。
「プロ」として仕事をしている人には、自分の好みなどよりも優先するべきことがあるのだということをその徳武さんのお話から感じましたし、現在に至るまで私自身の物事の考え方はその徳武さんのお話に大きな影響を受けていると思います。
「Dr.K(ドクターケー)という愛称は、名字の徳武(とくたけ)が由来とのことですが、眼鏡をかけ穏やかな佇まいでギターを弾く、その姿も「ドクター」の名に似合うものだったと思っています。
演奏だけでなく、残してくださったたくさんのものに改めて感謝です。
『ギター・マガジン』2025年10月号には特集のひとつとして、徳武さんの追悼特集が掲載されました。膨大な数が掲載された参加作品のリストは圧巻で、聴いてない作品をリストを頼りに聴くのも楽しみです。
同特集では、近年のメインであったフェンダージャパンのDr.Kモデルや長くメインとして使われたフェンダー・エスクワイアーはもちろん、セッションギタリストとしては異色とも言える使用楽器の数々が紹介されており、楽器選びの面でも徳武さんの唯一無二さんを感じます。
記事には紹介されていませんが、1990年代によく使用されていたG&LのASAT CLASSICや、1997年に九段会館でおこなわれた『METROTRON WORKS 10th ANIVERSAL』に出演された際に使われていたチャンドラーのテレキャスタータイプのギターも、徳武さんの使用楽器では印象深いです。
『ギター・マガジン』2025年10月号は、電子書籍で現在でも購入できるようです。
最後に、前述の『ギター・マガジン』の作品リストには未掲載だった、個人的に印象的な徳武さんの参加作品を挙げておきます。
久保田洋司さんの1992年のアルバム『Blue Marbles』。ムーンライダーズの岡田徹さんプロデュースによる打ち込み主体のエレクトリックなポップサウンドの中に徳武さんによるギターサウンドが見事に融合しています。徳武さんはギターのほかバリトンギターも演奏しており、90年代にいくつかあった打ち込み主体のサウンドに徳武さんのプレイを取り入れた作品の中では、もっとも成功している作品のひとつではないかと思います。
さて、お名前で気がついた方もいらっしゃるかもしれませんが、久保田洋司さんはこのアルバムリリースの数年後から作詞家としての活動も多くなり、ハロプロ周辺にもいくつか歌詞を提供しています。安倍なつみさんの『息を重ねましょう』も、久保田さんの作詞です。
徳武さんは安倍なつみさんのライブに参加して何度か『息を重ねましょう』を演奏しており、このアルバムの10数年後におふたりが別のかたちで関わっていたというのも、面白いご縁だなと思います。